土曜午後の時間が空いたので、家人と共にカフェでコーヒーを飲みながらまったりしていたところ。
唐突に問いかけてきた。
「どっかの物理学者の先生が言ってたんだけどさ。『君は靴紐を結べるだろう?結べるならそれを人に言葉だけで説明してみて』って。これってさ、いろいろすごいことだと思うんだけど。やってみてよ」
靴紐の結び方の説明。
まず手順をどこまで分解するのか。そしてどう表現するのか。
大きくこの2つになってくる。
手順書を作るとき、必ず「写真」や「図」を入れていた身としては、言葉だけで表現することの難しさを重々承知しているつもりだ。
つもりだった。地味に始めて見て痛感した。
これは途轍もなく難しい。
普段何気なくしている所作や動作に名称があり、一つ一つの動きに意味があることを実感する。
そして、こちらとしては同じ言葉を発しているにも関わらず、人によって伝わり方が違う。
これはとてもすごいことで。
この人が理解できたからと言って、あの人に理解してもらえるとは限らないのだ。
そこに怖さと共に面白さを感じている。
その時私は、相手のバックグラウンドを探り、それに関連する言葉で例えてより近い理解につながるように伝えるようにしている。
しかし。
今回のお題は、みんなが何気なくしている所作の一つ。
「靴ひもを結ぶ」
である。
相手の動きを見極めながら言葉を選ぶ必要がある。
実際に動作をしながら説明ならばまだ楽かもしれない。
だが、全貌を説明して動作を行ってもらうとなると、これまた難しくなる。
どの言葉を使い、何を話さないか。
よりシンプルに、より簡素な言葉で。過不足なく。
改めて「伝える」ことの難しさと面白さを考えさせられた、梅雨入り前の昼下がり。
家人はといえば、
「説明するとき、擬音多いね」
やかましいわ。そこじゃないわ。
そういう話題を持ってきたことをちょっと感動してたのに台無しだわ。